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       老子の武道 Lao-tze's Budo

The Chinese Communist Party established “New T’ai Chi Ch’uan” in 1956. 
“New T’ai Chi Ch’uan” has two styles.  One is “Simplistic T’ai Chi Ch’uan,”
and the other is “Enacting T’ai Chi Ch’uan.”

    “Simplistic T’ai Chi Ch’uan,” in quantitative-terms and from a qualitative
point of view, is not the object of this research.
 
It is only a short series of moving exercises, and it is, of course, one of the
new exercises that do not have historical or philosophical foundations.

    “Enacting T’ai Chi Ch’uan” has been politically restricted by The Chinese
Communist Party, so it is not suitable for research as a science.  Thought control
will, in particular, restrict the advance of many great cultures.

     The great philosophy of “Lao-tse,” is one side of the body of “Authentic
Yan T’ai Chi Ch’uan.”  We should not forget this fact, and should always hear in
mind this truth.      

 


 中国では、「老子経」という偉大な自然哲学が、三千年近くかかって醸成されつづけ

ました。

 今の中国政権は、そのようなものを唯物史観ゆえに、基本的には否定しています。

 しかし、世界で最も読まれている「老子経」=自然哲学から、湯川秀樹博士の「中

 間子理論」も生まれております。

 「老子経」の自然法は、そして「本流の楊式太極拳」という、洗練された高級武道

 「老子の武道」を生みました。

 過去に、共産政権は自らの誇れる文化を大弾圧し、想像を超える死者を出しました。

 

 今、わが門のみは、「COMPLETED IN JAPAN」 のものとして「本流の楊式太極拳」を、

 日本国で復興し、完成しました。

 そして、偉大であり、恩もあるすばらしい歴史の國、中国の心を復元させております。

 


 この、文化的に洗練された、遠き昔の「大唐の宝」とでもいえるものが「老子の武道」な

 のです。

 「本流の楊式太極拳」は「老子の武道」です。

 その素晴らしい文化を、あますところなく解説し尽くしております。

 多くの日本国の、武道の名人達人は、「簡化式太極拳」という技に、「本流の楊式太極拳」

 の世界を夢想しました。

 しかし、それは、ラジオ体操のレベルにもやや劣るものに、柳生の剣の奥義を聞く愚でした。

 そのようなごく当たり前のことが漸く理解が届いた今日です。

 

 今、「老子の武道」を読まれて、そこに、

 「なるほど、本当に歴史をもった本物は深く、そしてよく研究されて、見事に完成されている」

 といったことを、学んでいただきたいと考えるのであります。


 因みに、中国に聖人が出て、精神と内面を貴ぶ国家を早く回復してくれることを祈ります。

 
 世界にいいように侵略された中国ですが、今では軍事大国です。

 そして、強い国家は威張ってはいけないのです。



 中国は今、戦前の日本国に学び、また関羽や張飛のいた誇りと道徳の存在した遠い昔の大国を想起

 され、世界の平和と安定にこそ、貢献してほしいものです。



 


 
 
        「老子の武道」の はじめに から          

はじめに

             

 

 

 現代人にとって楊式太極拳というと、すぐにも思い浮かぶのが集合の舞です。

 また、健康というと、西安や大連の古都で静かに体を動かしながら歴史と威風を語り

かけてくれる、老人たちの微笑ましい楊式太極拳のすがたが目に浮かびます。

 
 これらは、どこまでも健康運動です。

ゆったりとした舞の威風です。

長閑(のどか)で、和やかです。

 そして、「武道」という厳しさ(いかめしさ)から離れていますので、いかにも暢氣

(のんき)なのです
……。

 ――ところで、歴史的に、楊式太極拳の属するところの本体は「武道」です。

 辛くても、そこを無視しては、本当のことは学べません ……。

 それは、「老子哲学」によってできています。

 ですから、それを、拳名でなく武道名で呼ぶなら「老子の武道」なのです。

 で、武道面から眺めたときに、「老子の武道」とは一体どんな武道なのか?

 どういう訓えを説き、学ぶ人々の心と身をいかにして育て、どう魂の師匠になってく

れるのか?

 このような疑問が浮かぶわけですが、一般には、なかなかわからないものです。

 また、武術の太極拳の専門書というものも存在しますが、いわゆる「拳術本」しかな

くて、そこに深い自然哲学が含まれているということも、まずありません。

 「術」から「法」、「法」から「道」という本体に帰ってゆくのが武道という世界で

ありますが、武術の太極拳に関する多くの書物も、その故郷を照らさないものがほとん

どです。

 また、ドクターや研究者、学者らの研究本もありますが、通俗的であったり、人生論

の域を超えられなかったりします。

 そして経験論や、実際の学習者を分析した論においても、とうてい「老子の武道」を

深く知ろうとする知識人を満足させることはできないものが殆どです。

 通常に、楊式太極拳を学びに出て、ただ踊っていても、その動きを大方こなすだけで

精いっぱいです。

 道を究(きわ)めるとか、求道者となってさとるなどという世界には届きません。

 教室の講師の言葉では歯のたたないことばかりで、途方に暮れるというのでありまし

ょう。

 この世は、自分の職業に励み、営々黙々と家族、自分のために過ごす方々が一番多い

のであります。

 そのような善良な人々に守られて地上があることは、よいことなのです。

 しかし、時代は複雑化し、情報化し、世界化しておりまして、

 「何のために生きているのやら?」

 というところに来てしまい、不安や恐怖におののいている方々が増えています。

 苦しい時代に、くわえて、老化や定年という問題にさしかかって、「死」という不安

も現実に見えてきたということで悩む人々も、また多くなってきています。

 このような時代に、ひたすら健康を求めて楊式太極拳の運動をするというのも、けっ

して悪いことではないのです。

 しかし、「老子の武道」には、本来備わる哲学があります。

「この世を、無常と読み、泡にも似た表面的なものとも観じている」

そのような、原点の哲学があるのです。

その哲学を感じ、学びにくる方々も増えはじめております。

 仏教とも重なる深い哲学こそが「老子経」なのですが、その母体があって「老子の武

道」が存在します。

そこに、「生死一如」の道があると観て、学びにくるのでありましょう。

 生きたり死んだりする事実は、厳然と存在しています。

 そのようなものに深く悩むときに、人は「入神」をさぐり、自然に聞き、宇宙に問う

のでありましょう。

 現代人にとって、一般に行われている楊式太極拳が、そのような期待に応じきれると

いうことは、まず、ありえないことです。

 ただ、「老子の武道」という楊式太極拳の本体は、「老子経」というけっして仏典に

も聖書にも見劣りしない、世界に誇れる自然哲学の泉から発しています。

 つまりは「老子の武道」という本体、その一乗から「力」を借りるならば十分に、様

々な期待、要望に答えきれるというのであります。

 「老子の武道」が、長い歴史の熟成から生まれてきている真実は廃れてはいません。

 深い自信を備えております。

 今、「道」というものを求めたとき「老子の武道」は必ず役に立つというのでありま

す。










         「老子の武道」 目次 から
 

       目 次

PROLOGE  ―― P

PROLOGE  P1 

  凡例  P

はじめに  P5 

  目次  P

序章  ―― P15  

   

 序章の1  武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、偉大なる「種子」  P16

  

  ①「柔和」の道と「品格」  P16

  ②「老子」一乗  P19

  ③永遠に存在する「道」をみつけることは「法」による  P23

  ④偉大なるさとりの種子「道」というもの  P25

 序章の2  武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、「道」をもとめるということ  P28

 ①健康ということの認識  P29

  ②「心」を浄めるということ  P30

  ③「空海」と「老子経」  P31

  ④生きているうちの修法  P37

 序章の3  武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」それは、「心」の武道  P40




第一章;総論  ―― P45

 第一章の1 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、三大基本  P46 

  ①「老子の武道」のまず基本となること=

それは「意思」の拳法だということです  P47

(1) 「老子経」の一(いつ)が「意思」をしめします   P47

(2) 「完整一氣」という奥義について  P49

(3) 精神的世界の研究については=

幅広い研究対象があります  P50

    (4) 法律における「契約」という世界での「意思」と=

「西洋人」を考えます  P53

    (5) 知行合一(ちこうごういつ)に触れます  P56

  ②「老子の武道」の、二番目に基本となること=

それは、「槍」によって整った拳法だということです  P58

(1) 「槍」の技が、武道の楊式太極拳を生んでいる=

という原点を理解ください  P58

(2) 「槍」の技が、与えたもの=

を知っておいてほしいのです  P59

(3) 「槍」の技について、張三豊じいさんの伝説  P63

    (4) 張三豊じいさんの物語に出てきた「太虚」について  P66

    

  ③「老子の武道」の、三番目に基本となること=

それは、「老子経」によって整った拳法だということです  P67

(1) 「道教」と古代の「老子」=

とを、混同しないでください  P67

(2) 「老子経」こそ、仏教を漢訳に導いた「訳語」でした  P70

(3) 「老子経」のもとでできた武道=

といっても、他思想との融合もあります。  P73

       (4)    漢訳に「老子経」を使ったといっても=

仏僧は、すごいレベルでした  P75

  竜樹  P75

  達磨  P75

  天台智顗  P76

  玄奘  P76

  善無畏  P77

  金剛智  P78

  不空  P79

  恵果  P80

 第一章の2 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、重要なる体験 「氣」、「勁」、「丹」、「神」  P82

  ①「老子の武道」の「勁」について=  P86

(1) 「勁」の解説  P86

  ア)「力」は、骨格、肩、背中等、肉体の一部を物理的に固着=

するもの 「勁」は、柔く、四肢に放つものです  P87

      イ)「勁」は、無形を特徴とします  P90

      ウ)「力」は、方=

しかし「勁」は円です  P94

      エ)「力」は澀(じゅう)=

しかし「勁」は暢(ちょう)なのです  P95

      オ)「力」は肉=

しかし「勁」は霊なのです  P96

      カ)「力」は遅く、「勁」は、はやいといいますが  P101

      キ)「力」は浮き、「勁」は、沈むといいます  P102

(2) 「勁」の本義  P103

(3) 「勁」のレベル  P104

(4) 「勁」の具体的な認識  P113

  ②「老子の武道」の「丹田」について=  P115

(1) 「丹田」の解説  P115

(2) 「丹田」のない人が多いのです  P119

    (3) 「丹田」という用語の、禅世界からの解説  P121

    (4) 「老子の武道」からの「丹田」  P126

    (5) 「丹田」が、かたよらない=

かたむかないということ  P129

      

  ③「老子の武道」の「神(しん)」について=  P132

(1) 「神」の解説  P132

(2) 「老子の武道」からの「神」のかたち  P136

(3) 「神」の密教性  P139

    (4) 密教の隠密(おんみつ)に必要なものと=

「老子の武道」の隠密に必要なものとの比較  P142

    (5) 「上の丹田」と「神」について  P151

  ④「老子の武道」の「氣(き)」について=  P153

(1) 「氣」の解説  P153

(2) 「氣」の陰陽論について  P158

(3) 「氣」というものの整理  P170

    (4) 意識ということから「氣」というものを=

武道として簡単に説明  P173

 

 第一章の3 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、重要なる中心 「腰」、「呼吸」  P176

 ①「老子の武道」の「腰」について=  P178

(1) 「腰」の解説  P178

(2) 「腰」の「腿」との関係論  P182

(3) 「腰」の「命門」に関すること  P185

    

  ②「老子の武道」の「呼吸」について=  P191

(1) 「呼吸」の解説  P191

(2) 「荘子」の伝える「呼吸法」について解説  P195

    

第二章;各論

 第二章の1 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その各論、「稽古の論」  P203 

①「稽古の下地」、「抜」と「伸」について=  P204

②「稽古の法正」である、「川字椿法」について=  P209

③「奇跡の伝行」である、「本椿法」=  P216

④「老子の武道」の太祖行ともいうべき「発勁行」=  P222

⑤「老子の武道」の骨つくりともいうべき「連拳」=  P228

(1) 「連拳」の重要性  P229

(2) 「野馬分鬃(のばぶんそう)」の技=

から眺める「簡化式太極拳」  P238

    

⑥「老子の武道」の「要技」の双璧、「槍」と「推手」=  P243

⑦「老子の武道」の様々な「拳譜」をおこなう=  P251

    ◎ この項の最後に、毛沢東について触れておきます  P265

 第二章の2 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その各論、「勁の論」  P272 

①「点(沾)勁」と「粘勁」について=  P276

②「連勁」と「随勁」について=  P280

③「不抛頂」について=  P283

④「四大勁」について=  P285

⑤「八大(八卦)勁」について=  P288

⑥「八大打勁」について=  P295

⑦「勁」の「連綿円合」からの理解と=

重要勁の体系的理解  P308

(1) 「連綿円合」からの理解について  P308

(2) 重要勁の体系的理解  P315

⑧「懂勁」の解説=  P318



第三章;実践論

 第三章の1 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その、「実践論 心の城 」  P334 

   戦う相手は「心」であるということ  P336

   「実践の道」とは時との折り合いが必要  P339

   「実践の道」とは、また、「樹下(じゅげ)」の如し  P342

   「実践の道」とは、また、「王城」を「心」内に築く如し  P345

 第三章の2 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」その「実践論 武士道 」  P351 

  ①「関羽」と「熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)」と  P357

  ②「王陽明」と「武士道」  P363

  ③札幌からの響き「内村鑑三」  P370

  ④「老子経」の第十五章  P382

第四章;附論

 第四章の1 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」 =附論 =「十如是」  P389

  ①「十如是と武道」  P391

  ②「十如是の解説」  P396 

 第四章の2 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」 =附論 =「浩然の氣」  P416

  ①「浩然の氣」と「孟子」  P419

  ②「浩然の氣」の解説と「老子経」  P423

 第四章の3 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」 =附論 =「あとがきにかえて」  P427

   あとがきにかえて=「心身を動かす薬」  P431

   あとがきにかえて=

「十住心と老子の関係の小整理と小解説」  P436 

 

   あとがきにかえて=「執筆を終えての思い」  P447

 

索 引

 索 引 武道としての本流 楊式太極拳=

「老子の武道」―― 索引  P450

  用語索引  P450

 

  重要奥義の索引  P463

  「老子経」の索引  P465  





      
           老子の武道の「PROLOGUE」

 PROLOGUE

 
 古代の
中国で老子の訓えが武道となったものが、本流の「楊式太極拳」であります。

本流の楊式太極拳は、武道です。

道からの命名をするならば、「老子の武道」です。

この「老子の武道」を、武道という中心を抜かさずに正面から、しかし健康面や芸術

面も含めての広い視点から、説明してほしいとの要望が各地から届いておりました。

その要望とは、「健康面から」、「武道面から」、「武士道の面から」、「深く氣を

科学したものとして」、「悟りの教材として」、「仏教や儒教や密教との関係から」

――
等々、多くの立場からの解説を求めています。

「老子の武道」が抱える「文化連鎖」を教わることを多く期待する、様々の言葉、表

現で綴られているのです。

勿論、その要望に答えようとしても、これらを判り易く、網羅的に述べることは困難

な仕事です。

しかし、時代は「老子経」も「老子の武道(本流の楊式太極拳)」も、世界に影響を

持ち始めております。

そして、その影響は、必ずしも文化的、正統的でもなく、雑多な混乱を含んでいて、

明らかに荒廃に進んでいる面もないわけではないというのであります。

ここに、本来は、「老子経」の一乗によって「老子の武道」が存在するという原点に

立って、正統な「文化連鎖」を説くことを重要と考えてみました。

非力ながらも、ゆえに、これらの要望に答えてみようと決心いたしたのです。

「老子経」と「老子の武道」が、よき「文化連鎖」のもとに人類に長く貢献してゆけ

ることを、ひたすら祈るばかりです。

                      2009年春 吉日