多聞内神道HOME   →    2011年度 3月11日 大震災と津波

      恐るべき天威

大災害は、多くのことをわれわれの前にしめしてくれた。
生きて力の残っているものは、やはり、戦わなくてはならないと思う。
そして、文明も、政治も、政府も、学者という世界も、企業というものも、やはり人材というか、人の心を備えた徳人が制御
してゆかなければならないと、つくづく反省する……。

         仙台名取地区津波のあと
            多くの週刊誌、新聞社などが出していた景色であるが……。これはNPO法人筑波山環境クラブの
               緊急車両の窓からとらえた映像である。

             ――東北道を緊急支援車はみな血ばしって走っていた――      

               支援物資を満載して走るトラック 
     自衛隊の車両が、何十台もゆっくり進む
    公的車両は制限速度50キロをまもって粛々と走っていたが、民間支援、とくに個人援助車は120キロ前後を猛然と走っていた。
    パンクが怖いし、まるでしわだらけのような路面であった。走ることが奇蹟に近い路面を血相をかえた支援者たちが猛然と進んでいた。
    この国には、今政治屋も大企業もいらないと心から感じた瞬間であった。このような心ある素朴な個人個人が、その実行力を残して
    ゆくことができる国家を維持してゆかねばならないと感じたのだが……。


                      途中の山々の景色は、もちろん無言だったが、しかし、多くの叫びが聞こえてくるようだった。

                                            
               震災時、援助車に向く山景色 
                   いや、たしかに聞こえたのだ。しっかりせよと、大変だぞ、これからこの国の苦難は長いぞ……といったことが。




               仙台閖上地区 仙台支部長送信図から




                 

              仙台閖上地区 仙台支部長送信図から

                 
  

      組織部長(仙台支部長)は死去したものと、考えられた。
       組織葬儀にしなければ……との話がなされていたころに、生きていることが確認された。
       ここの二枚の映像は、組織部長、長島義樹先生から届いたもの。

       武門ゆえに、不幸は語らない。
       しかして、夕方にガソリンスタンドに並んで待つ多くの高齢者の姿をはじめとして、けっして新聞にもテレビにも出てこない現実の多くの
      ことを語り伝えてゆかねばならないと心した。
      震災後、不幸の度合の大きかった人ほど、新聞を読まなくなったし、テレビも見なくなったと聞く。
      報道の中に、半分の真実もない、というのは真実である。

      文明ゆえに、文明は、人をまひさせ、また、追いこんでいったし、安全を無視したという面は、きわめて大きい。
      
      歩いてみると、予知して(たとえば地震雲を読んだ、自分で計算して等……)被害を食い止めた人もけっこういた。
      天変地異は当然に来るというあたりまえのことを忘れないことに、敏感であらねばならない。

      われわれの仲間でも、よくそこまでたどりついたな、というような命知らずがいた。土地を揺らすものもあるが、人の心を動かすものもある。
      よく整理して、しっかり後世に責任あるレポートを完成しておきたい……。 
 

                   2011年度震災後  NPO法人筑波山環境クラブ緊急支援レポート まず 静かに 記す