多聞内神道HOME   →    長尾豊喜 先生 青鹿明司 元常陽銀行頭取 を追悼する

   青鹿明司 元常陽銀行頭取が逝去されました。長尾豊喜 道長にとって、最大の理解者の一人が、また、去られたのです。

大正9年11月生まれ、平成20年5月に逝去
昭和18年9月、東京大学法学部卒業。大蔵省入省
昭和41年5月、茨城県副知事
昭和46年、常陽銀行 顧問
昭和46年11月、専務取締役
昭和50年7月、頭取
昭和61年7月、取締役会長
平成5年6月、取締役相談役
平成10年4月、特別顧問
平成11年10月、退任

茨城県副知事の時代から計算しますと、約35年間も、茨城県のTOP事業家、文化人として活躍されました。
全国初の学資ローンの取扱や、手話窓口の創設など、高い精神で茨城県に尽くされた「士」でした。
全国でも屈指のハイグレードをほこる文化財団「常陽藝文センター」の創設は、世界の銀行がまねのできない偉業を行ったといえます。
無名で、まだ30歳だった、長尾豊喜 道長を、「武道として本格的楊式太極拳を伝える唯一の武士道人」と発掘され、「水戸には、本格
武道を行える本物こそふさわしい」として、他の有名だったが健康体操しかできない太極拳家を排除され、長尾豊喜 道長を講師に迎え
らえたのであります。

茨城県にとって、しばらくは出ないでありましょう、大変な英雄が、去られたのであります。


                                  


 

  いつも、多聞内神道を応援してくださった茨城のサムライに、謹んで、哀悼の意をささげ、また、青鹿明司 先生の
  ご意思を守り伝えてゆきたく思います。

  
 「青鹿明司 先生 長い間、本当に御苦労さまでした」


  


       ―― 事業ばかりではなかった。囲碁や書道など、文化に深い洞察を持っていらした――      

             
      

   


      



              2008年5月 青鹿明司 元常陽銀行頭取 死去 多聞内神道 謹んで追悼