太極拳長江会の公式サイトHOME    →  寺山旦中 老師 遺墨集を 長尾豊喜 先生解説

                                        

   筑波関東総道場 の隣人 寺山旦中 (本名ー葛常) 先生が死去された。長尾豊喜 総裁とは、若き頃からの友人であった。

  多聞内神道が、筑波関東総道場を建立した際に、隣人を調べてみたら、東京で、 長尾豊喜 総裁と対談していただいたり、また、
   多聞内神道と、さまざま友誼を持っていただいていた、寺山旦中先生だった。

  上智大学講師・花園大学講師・二松学舎大学教授だった。
   深き御縁だっただけに、寺山先生の死去は、無念である。
   書家として、その偉大な功績を思うし、また卓越した武人として存在の荘厳さを思う。早い逝去に、ただ残念なりと唸ることのみ。


   寺山旦中先生は、大森曹玄 老師について、直心影流をおさめられた。  
   山岡鐡舟 先生の真筆に触れ、その生気に打たれてのち、剣・禅・書の一道を開かれた。

 寺山旦中 老師 の遺墨集を 長尾豊喜 総裁が解説 そして追悼

                                  寺山旦中先生 松風
 「遺作は「松風」という書物。
 寺山旦中先生の、死地に身と心を置かれての、武人らしい静かで激しい作品であると、おみうけした。
 私ごときが高書に、何を言うべきでもない。しかして、以下に寺山先生の境地を、一部ながら披見させていただき追悼の一菊とさせて
 いただくことにした。
 わが書の師匠、任政老師は、中国を代表する書法家だった。
 その先生は、くったくなく自由な柔軟性のなかに生きておられたのだ。
 文化大革命では、常に死地におられた。
 そこで、死地を眺めながら書かれたものという意味では、寺山旦中先生の「松風」と任政先生の作品には、同じ氣が感じられる。
 きっと、天空へ散りゆく人間を静かに見切って、自由世界を歩まれたのかもしれない。
 そんな想念の帯を、自分の心のなかに感じるのだ―― 長尾豊喜 総裁の追悼文から」


 

 自分の死去時期を悟って、最期の作品に取り組まれた 寺山旦中 先生の 「ごあいさつ」 から ―― 

 「古稀展の話が出た矢先の平成十七年秋、かなり進行した胃癌である旨の宣告を受けました。
 当初、余命幾ばくもなしと危ぶまれましたが、幸いにも十方の法縁と神仏のご加護、それにガン君の協力も得て、
 「一筆浄佛 人類浄厳」を念じつつ、幾点かの作品を仕上げることが叶いました」


 

  最後の相見 筆禅道師範 稲田盛穂先生の玉稿から ―― 

 
 「そして五月一日、訃報を聞き馳せ参じますと、清々しい富士、松、竹画賛の大作の前にお休みで、まことに神々しい
 お姿でした。
 しばらくして、奥様と飛び上るほど驚きましたのは、先生が眼を開けられ、口先をほころばせられたことです。
 「死にはせぬ。どこへもゆかぬ、ここにおる、たづねはするな、ものはいわぬぞ」
 との、一休禅師のごとくでした。
 


  寺山旦中 先生寄贈の「創造」 オックスフォード大学;


                                       創造――寺山先生筆


  寺山先生 オーチャード道場


     オーチャード道場での寺山老――中央













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